エミール・マールと巡るロマネスク美術2 タンパン彫刻の主題ー「キリストの昇天」と「最後の審判」
ロマネスク美術館 Museum of Romanesque Art (MORA)
「キリストの昇天」の系譜
トゥールーズ、サン・セルナンでの試み
ロマネスクの彫刻家がタンパンを飾るにふさわしい主題を探していた当時、黙示録の幻想を描写した図像とともに福音書に関する多数の図像が存在しました。
その中からまず取り上げたのは「キリストの昇天」でした。
タンパンを飾る「キリストの昇天」の主題は、トゥールーズのサン・セルナンで初めて試みられました。
神の手を求めて両腕を差し出すキリストとこれを支える天使たちが半円の空間を埋め尽くすとの構図には空を舞いあがる昇天の動きが感じられないため、この試みはスペイン、レオンのサン・イシドロで模倣されるにとどまりました。
カオールの「キリストの昇天」
キリスト昇天の動きの表現は、キリストが光背の中に立って上昇し、使徒たちが消えゆくキリストを見上げ、これに対し2人の天使が身を反らして語りかけるというカオールのタンパンの構図によって初めて生まれました。
カオールの「キリストの昇天」の構図はモーリアックとアングレームで模倣されます。
アングレームの「キリストの昇天」
アングレームでは、昇天するキリストの周辺に、「最後の審判」の主題を連想させる「丸いメダイヨンにはめ込まれた義人たち」と「地獄の責苦を受ける罪人たち」の彫刻が置かれており、「キリストの昇天」と「最後の審判」の2つの主題が同時に表現されているように見えます。
このため、キリストは昇天するように見え、また、人々を裁くために天から下っているようにも見えます。
これについてマールは、「キリストは昇天した姿のまま審判のため再臨する」との中世の教義に基づくもので、「アングレームでは『昇天』が『最後の審判』をもって終わるのである」と説明しています。
また、ビザンティンの昇天図において、光背に包まれて上昇するキリストが最後の審判のキリストのように堂々と坐っている姿で表現されるのも同じ理由からであるとしています。
シャルトルの「キリストの昇天」
カオールの「キリストの昇天」の構図は北フランスにも影響を及ぼします。
シャルトル西正面左側扉口の「キリストの昇天」のタンパンは、中央扉口の「黙示録のキリスト」のタンパンと同様、サン・ドニから移動した職人たちによって制作されたと考えられますが、これらの職人たちによりカオールの構図が持ち込まれたものと解されます。
その後、この構図はエタンプで模倣されます。
ブルゴーニュ地方の「キリストの昇天」
ブルゴーニュ地方でもいくつかの扉口で「キリストの昇天」の主題が見られます。
しかし、マールは、ブルゴーニュの「キリストの昇天」にはトゥールーズやカオールの影響はみられず、オリエントやビザンティンの写本挿絵を承継したものであると解しています。
モンソー・レトアールのキリストは、シリア系写本で見られるように光背の中に立っており、エジプトのキリスト教徒(コプト)がしばしばキリスト像に付加した柄の長い十字架を手にしています。
また、アンズィ・ル・デュックでは、キリストは玉座に着座し、2人の天使が光背を支え持つというビザンティン写本の昇天図を簡略化したような構図をしています。
しかし、アーキボルトには「黙示録の長老たち」が配置されており、マールは北フランスの影響もみられるとしています。
これらの扉口では、キリストを見上げる使徒たちの姿によって「キリストの昇天」の主題は明示されています。
しかし、シャルリューの教会堂の内側の扉口(本書。図232参照)においては、玉座に着座するキリストと光背を支え持つ2人の天使という同一の構図を取りながらも、キリストを見上げるべき使徒たちはキリストと共に正面を向いた不動の姿勢で着座しており、いかなる身振りも示してはいません。
マールは、「全体的な構図はブルゴーニュで表現されているような『昇天』のそれであるが、その理念は別物である。キリストはここでは永遠性の相のもとに出現する。ビザンティンの『昇天』図の坐したキリストが、『聖ヨハネの幻視』のキリストに比すべき『荘厳のキリスト』になっているのである。」と解説しています。
これら様々な表現が試みられた「キリストの昇天」の主題も、ゴシックの主要な主題としては承継されずに終わります。
「最後の審判」の系譜
ボーリューの「最後の審判」
「最後の審判」の主題がタンパンに初めて現れたのはボーリューにおいてでした。
そこでは、天使たちがラッパを吹き鳴らし、死者たちが石棺の蓋を持ち上げ、使徒たちに伴われたキリストが受難の刑具に囲まれて天上に出現します。
タンパンの下の2つの楣石には、怪物たちが罪人たちをむさぼり食う地獄の場面が広がります。
ボーリューの「最後の審判」の特徴の1つは、キリストの背後に2人の天使に支えられた大きな十字架が刻まれていることです。
マールは、この十字架はマタイ福音書にある再来する「人の子の徴」を象徴するもので、カロリングの「最後の審判」図やトゥールーズのラ・ドラード修道院の柱頭彫刻にも見られ、オリエント起源とは異なる西欧の「最後の審判」を特徴づけるものであるとしています。
また、もう1つの特徴は、キリストが十字架上にあるかのように、胸をあらわにし両腕を水平に広げて表現されていることです。
マールは、この表現は「審判の日に、キリストは神に選ばれた人々には山上におけるような姿で、神に見放された人々には十字架の上にいるような姿で現れる」というオータンのホノリウスの神学書の章句に基づくもので、キリストが、「人びとのために苦しみ、人びとにその犠牲をないがしろにされたことを思い起こさせに来た贖い主」として現れることを表しているとしています。。
ポアトゥー地方のサン・ジュアン・ド・マルヌの西正面のキリストも大きな十字架を背後にしており、両腕を広げてはいませんが、十字架から降ろされたばかりのように表現されています。
サン・ドニの「最後の審判」
ボーリューの「最後の審判」の構図はサン・ドニの中央扉口のタンパンで一層明瞭な形で表現されています。
ここではキリストの両腕は十字架上に釘付けされているかのようであり、マールは「オータンのホノリウスの考えが、それまでなかったほど完璧に表現されている」としています。
コンクの「最後の審判」
ボーリューやサン・ドニでは「最後の審判」の主題は本質的な要素に切りつめられて表現されていましたが、コンクでは全く異なった構成で姿を現します。
コンクの「最後の審判」のタンパンの特徴は様々な場面を組み合わせた複雑な構成をしてることです。
オーヴェルニュ地方独特の山形の傾斜をした楣石が用いられていること(クレルモン・フェランのノートルダム・デュ・ポール、シャンポン、モザ等で見られます)、また細部の表現の類似性からオーヴェルニュ地方との強い親近性がうかがわれます。
マールは、オーヴェルニュで仕事をした最も几帳面な彫刻家たちがコンクに招聘されたのであろうと推測しています。
コンクの「最後の審判」では、キリストは両腕を十字に広げておらず、周りに使徒たちの姿も見られません。
このためタンパンに広大な空間が生まれ、そこに「列をなして進む神に選ばれた人々」、「魂の計量」、「地獄」、「天国」等の場面が並びます。
これらの場面は後にゴシックの「最後の審判」を構成する主要な要素となるものです。
様々な場面で構成されたコンクの「最後の審判」は、北フランスの芸術家たちの想像力を開花させ、ゴシックの芸術に大きな影響を及ぼしたと考えられます。
最後の審判の主要な要素となる「魂の計量」は、11世紀のトゥールーズのオーギュスタン美術館にある柱頭にも見られ、南フランス全域に広がった図像です(サン・ポン修道院の柱頭、アルルのサン・トロフィームの扉口側壁、サントのサン・トゥトロープの柱頭、サン・ネクテールの柱頭等)。
マールは、古代エジプトの「死者の書」等に描かれた「霊魂の審判」図に由来するものであろうとしています。
コンクに近いエスパリオンでも小型の「最後の審判」を見ることができます。
その未洗練な表現からコンクの原作とする説がありますが、マールは、コンクの特徴を不器用に模作したものに過ぎないとして原作説を否定しています。
オータンの「最後の審判」
ブルゴーニュ地方で唯一完全な姿をとどめているオータンの「最後の審判」は、ボーリューよりも少し後の作品と考えられていますが、その構成もボーリューとはかなり異なっています。
ここでは受難の刑具は消え、十字架上の贖い主であったキリストは審判者として表現され、一方、ゴシックの「最後の審判」で重要な役割を演じることになる聖母マリアと聖ヨハネの2人の仲介者が初めて登場します。
そして、ボーリューにはなかった「魂の計量」がドラマティックに表現されるとともに、「死者たちの復活」の場面が楣石全体に感動的に刻まれ、全体に超自然的な強烈な印象をもたらしています。
しかし、オータンの「最後の審判」の独創的な表現はブルゴーニュにおいても例外的なものにとどまり、ゴシックの「最後の審判」では取り入れられることはありませんでした。
ゴシックに継承されたロマネスクの主題
以上を見てくると、ロマネスクのタンパンの「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」、「最後の審判」の3つの主要な主題は相互に関連しているとともに、その基底に「最後の審判」の理念が通底していることが分かります。
モアサックの「黙示録のキリスト」が左ポーチに「悪しき金持ちの懲罰」の場面を伴い、アルルのサン・トロフィームやサンティヤゴ・デ・コンポステーラの「黙示録のキリスト」が「天国と地獄」の表現を伴っているなど、「黙示録のキリスト」が「最後の審判」の主題を伴う場合があること。
また、既にみたように、アングレームの西正面で昇天するキリストが審判のために再臨するかのように表現されているなど、「キリストの昇天」と「最後の審判」の2つの主題が結び合わされている場合があること。
これらの事実はロマネスクの時代に誕生したいくつかの主題が「最後の審判」の主題に収斂されていくことを予想させるものといえます。
なお、マールは、本書「ロマネスクの図像学」に先行して刊行された、
「13世紀フランスの宗教芸術―中世の図像とその諸源泉に関する研究」(1898年刊行、邦題「ゴシックの図像学」、田中仁彦他訳、株式会社国書刊行会)において、
「フランスでは、12世紀以来、「最後の審判」を表現する2つの方式――「黙示録」によるものと聖マタイによるものと――が共存していた。」と記しています(同書、第6章「世の終わりー「黙示録」-「最後の審判」」)。
中世の芸術家が世の終りの場面を作品化するに際し、ヨハネの黙示録による人知を超えた超現実的なイメージを造形するよりも、マタイ福音書の「善人と悪人との分離」等の説話の場面を用いるほうが具体的で表現しやすいため、次第と後者に依るようになっていったということは十分に想像可能です。
事実、ロマネスクの時代に誕生した「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」、「最後の審判」という主要な主題は、ゴシックにおいて「最後の審判」の主題に収斂されていくことになります。
そして、「最後の審判」の主題を構成する「傷口を示すイエス」、「受難の刑具を持つ天使」、「魂の計量」、「善人と悪人の分離」、「天国と地獄」等の図像が全面を満たすことになります。
「ブルゴーニュと南フランスの芸術家たちは。こうした多様な試みを通じて、次の世紀が受けることになるさまざまな思想を表現したのであった。13世紀フランスの壮大な「最後の審判」図のほとんどすべての構成要素は、12世紀にもうすでに存在していた。フランスの大聖堂の彫刻家たちの仕事はそれを組織立て、神学者たちの協力を得ながら、信仰に合致し教義的に確固とした一貫性のある体系を作り上げることにあったのである。」とマールは記し、ロマネスク美術が中世美術の誕生において重要な役割を果たしていたことを明らかにしています。
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