アンリ・フォシヨンとともにロマネスク彫刻を巡る ー その4 枠組と運動の発生

「一方には、不動の姿勢で正面を向く、アーチ列に並ぶ人物という古くからの系譜、すなわち凋落期ヘレニズムに端を発するこの型を、石棺や祭壇前面飾りの構図を経由して継承し、楣や教会堂の正面に応用したいわば折衷的な後継者がある。
他方には、運動性にとり憑かれ、その虜になったかのような動揺するもろもろの存在の系譜がある。
建物の安定よいモニュメンタルな統制のなかに、これらの動揺する存在は、いわば一種の舞踏を介入せしめる。
これらの存在は舞踏を建築の諸形体と結びつける。というよりも、むしろ、建築の諸形体が動きに満ちた存在を決定すると言うべきであろう。」
アンリ・フォシヨン 「ロマネスク彫刻―形体の歴史を求めて」第9章「運動の研究」   


ロマネスク彫刻は諸々の異形の人像を作り出しましたが、同時に、形姿像に運動を付与するという新しい表現手法も生み出しました。

フォシヨンは、ロマネスク彫刻には独特の運動を表現する形姿像の一群があるとし、これらの運動の表現も形姿像それ自体と同様に枠組によって決定されているとします。

「ロマネスク彫刻」第9章「運動の研究」で、運動表現の具体例、及びそれらに内在する独特の手法について考察を進めます。

枠組と浮彫との牽引関係

建築の構成部分が有する枠組とその中に彫り込まれる形姿像との関係については、双方がほぼ同一の形状をなすことがまず考えられます。

浮彫の場合では、彫り取る手間を最大限に省くという技術的な理由が枠組とほぼ同一の形状をした形姿像を生み出します。
矩形の場合には角ばった形姿像が、円形の場合には枠組に沿って旋回するような形姿像が生まれます。

この場合、枠組と浮彫との接触という牽引関係でみれば、連続的な接触がなされているということができます。

これに対し、ロマネスク彫刻の大きな特徴は、枠組と形姿像との多角的な接触がみられるということです。

多くのロマネスクの人像と枠組との接触は頭、肩、肘、膝の突出部によってなされており、これにより、膝を開き、閉じ、折り曲げ、身をかがめる等のロマネスク彫刻独特の運動の表現が生み出されます。

枠組に順応してそれと一体をなす人像ではなく、踊り手、登攀者、泳ぎ手などと呼ばれる絶えず運動性を追求するかのような一群の人像群が登場します。

フォシヨンはそれらの浮彫の典型例を紹介します。

モワサックの側柱の聖ペテロと預言者イザヤ

「片方の肘と膝を使って、これらの人像は刳形に力一杯とりついている。反対側には人像に対する境界と支点が欠けているが、この境界線は、彼らのマントの厳格な直線と、脚、腿、上半身へと伸びる連続する線とによって暗示されている。
これらの異様な登攀者たちは、あたかも岩場のチムニーの内側をよじ登ってゆくように見える。」

モワサックの中央柱の聖パウロと預言者エレミア

「その長い脚は、トゥールーズの美術館にある彫刻群と同じく、歩行のポーズで交叉されており、背中あわせになった彼らの身体の対角線状の軸は、はっきりと三角形の諸区画を規定している。
足、膝、腰、肩、そして頭部は、中央柱の前面に彫られた有翼獣群の断面に力強く押しつけられており、半孤形装飾の支壁によって維持されている。
彼らが体を締めつけられている幅の狭い境界のなかにあっては、預言者も使徒も全表面を所有するために膝をかがめる必要は少しもなく、足と顔によってこのパネルの基壇と頂点とに触れるべく、度はずれなまでに体を引伸ばせばよいのである。」

スイヤックの預言者イザヤ

「モワサックの中央柱の人像よりもより十分な空間に拡がってはいるが、やはり同一の骨組に従って構成されている。
左側に垂直に垂れる巻物が、同じく境界線を暗示している。」

Souillac 預言者イザヤ

Souillac 預言者イザヤ


カオールの天使たち

「空に昇るほとんどうねりの目立たないキリスト像の左右に、頭をうなじにのけぞらせ、上体を仰むけに反らせた天使たちが、神の栄光(光背)の前に膝をかがめており、彼らの姿態はこのようにして曲線をかたどっている。」

Cahors タンパン「昇天」

Cahors タンパン「昇天」


シャルリュの「淫乱」の擬人像

「彼女は、膝をまげ、石のくぼみに身をちぢこめて逃避しているように見え、立像であるにも拘わらず横臥像に似ている。」

Charlieu 「淫乱」の擬人像

Charlieu 「淫乱」の擬人像

オータンのエヴァ

「モワサックの側柱の人像が登攀者を連想させるとすれば、軸線が水平に伸びる他の人像群は、肘と膝を支えに地面に腹ばいになり。這っているようにみえる。」

 

Autun エヴァ

Autun エヴァ

幾何学図形の内在

三角図形による構図法

フォシヨンは、これらの運動する人像と枠組の各接点の間には三角形の構図があることを指摘します。

さらに、「多くのロマネスクの人像は、あるときは膝を閉じ、他の時は開いて、膝を折り曲げるが、どちらも必ず折り曲げた角を見せるように配慮されている。」として、
枠組みの拘束がない場合にも、三角図形はロマネスク彫刻の構図を決定する重要な要素となっていると指摘し、ロマネスク彫刻の形姿像の変形は恣意的になされているのではなく、「幾何学図形を基礎とする、空間の三角図形化による構図法」というべき一定の手法に基づいているとします。

軸線に基づく構図法

三角図形の応用に加えて、三角形を二分する中心軸を設定しこれを利用することにより、複数や単一の形姿像が左右相称に配分され、さらに反覆し連繫しあうことで「連繫的運動」が生まれるとします。

 
また、対角線状の軸線を利用することにより、より複雑な左右相称性が得られるとします。
トゥールーズのオーギュスタン美術館にある使徒像群やクレルモン・フェランのノートル・ダム・デュ・ポールにある「美徳と悪徳の戦い」の柱頭等で、明確なX字形の構図を見ることができます。

タンパンにおける構図と運動

半円形壁面のタンパンにおいては、空間を矩形状に分割する手法が多く取られました。

カレンナック、カオール、エスパリオンでは、碁盤状の仕切りが見て取れます。
モアサックやボーリューでも矩形の組み合わせを見分けることができますが、キリストを囲む天使たちは仕切り線の境界を越えてアーキボルトの曲線に接するまで伸び上がっています。

これらの人像の配置は、単なるパネルの寄せ集めではなく、碁盤状の軸線を利用した構図法に基づくことを示すものです。

・ヴェズレーでは人像群は放射状の軸線に沿って、扇形に配置されています。

Vezelay「聖霊降臨」

Vezelay タンパン「聖霊降臨」

・シャルリュでは、半円形ののタンパンの曲線を意識してテーブルが意図的に変形されています。

Charlieu 「カナの婚宴」

Charlieu 「カナの婚宴」

・オロロン・サント・マリのタンパンでは、本来のアーキボルトの下に対をなした小型のアーキボルトが配置されています。

Oloron Ste.Marie  タンパン

Oloron Ste.Marie タンパン

・以上のさまざまな造形法に対して、ヌィイー・アン・ドンジョンのタンパンでは不均衡に揺れ動く独特の表現が見られます。

Neuilly en Donjon タンパン

Neuilly en Donjon タンパン

「このタンパンが異様なのは、それを構成する形姿像が揺れ動いているように感じられるからである。
『東方三博士の礼拝』を表すが、この場面の不規則な土台として、背をむけあう二匹の恐ろしげな怪物の背中が提供されており、言うならばその背中の上をよろめきながら行列が進んでゆくのである。
三博士たちは互いに先を争いながら急ぎ足に前に身をかがめて進む。最初の一人は走り来たり、つまずいてよろめき、聖母マリアの足許にほとんど倒れんばかりである。
しかし、なぜ聖母の玉座までが、同じくずり落ちそうに傾いているのであろうか。
ここには、不十分にしか成功しなかった扇形構図があると考えることもできよう。
図像と様式との葛藤が始まる。左二人の博士たちは、放射線の方向に身を傾ける代わりに、精神的な牽引力の中心である聖母の方に傾いている。
ここから、奇妙な不均衡が生じるのである。」

ヌィイー・アン・ドンジョンのタンパンでは、ロマネスク彫刻に内在する幾何学的な造形原理とそれを超越しようとする表現力の力強さが、揺れ動くかのような特異な運動を生み出しています。

 

中世における幾何学術の存在

ロマネスク彫刻の展開の過程には「静止的形体から動的形体への移行」という大きな流れが認められますが、その背景に幾何学的な構図法の存在を見て取ることができます。
そして、それらの技法は当てずっぽに行われたのではなく、当時の石工や彫刻家が有する仕事にとって不可欠な知識として存在していたと推測されます。

フォシヨンは、ゴッシクの全盛期である13世紀前半にヴィラ―ル・ド・オンヌクールが書き残した資料から、ロマネスク期の建築家、彫刻家が幾何学の知識を有し、これを応用して作業をしていたことが裏付けられるとします。

「運動の研究から明らかになった以上の諸原理は、実験室での思索から生まれた規則ではなく、工事現場でこれを適用し、コンパスや墨縄を使った人びとの手から生まれたものである。
彼らは、角度、三角形、円がなんであるかを知っていた。なぜならこうした知識は――建築術の最高級の思弁にとってとは言わないが――石截人夫の実際の仕事にとって不可欠のものだったからである。」 

 

装飾的構図法への展開

ロマネスク彫刻の構図と動きが枠組みによって生み出されたものであり、「建築順応主義」と「幾何学的構図の使用」がその基本的特徴であることをフォシヨンは明らかにしてきましたが、さらに「装飾的構図法」というべき手法の存在について言及します。

前記の「軸線に基づく構図法」において、形姿像が左右相称に配分され、反覆し連繫しあうことにより生じる「連繫的運動」の解説に際し、フォシヨンは次のように記しています。

「この運動(連繫的運動)は、各々身ぶりが宙に浮くことなく必ずどこかの部分に結びつき、いかに複雑であろうと、各々の形姿像が一つの連続した総体を構成し、完結していることを欲するものである。
ここにおいて、始まりも終わりもない、というよりはむしろ始めと終わりが注意深く隠されているアイルランドの筆線文字的迷宮と、再び合体することとなる。」
(1931年出版「ロマネスク彫刻―形体の歴史を求めて」9章の2)

さらに、1938年に出版された「西欧の芸術1―ロマネスク(下)」において、次のように記しています。

「この彫刻(ロマネスク彫刻)はまた同時に装飾を目指すものであり、生あるものの姿を装飾的構図法に従って確立する、というよりはその姿を捏ね上げるのである。
人間、動物、怪物の像は、たんに渦巻き文、円形浮彫り、刳形となったり、建築量塊あるいはその他の機能のみを果たしているのではない。
それらの像は、たんに幾何学的構成の網目にそって互いに結び合わされているのみではない。
それらは、それ自身すでに唐草文様であり、棕櫚の葉文様となっているのである。」
(1938年に出版「西欧の芸術1―ロマネスク(上下)」第3章、105)

 

この2つの著作が出版された間の1931年に、フォシヨンの高弟であるユルギス・バルトルシャイティスにより、パリ大学の博士論文として「ロマネスク彫刻における装飾様式」が出版されています。(この論文は1986年に再版され翻訳されています。「異形のロマネスク」馬杉宗夫訳、講談社)

バルトルシャイティスは、膨大な量のロマネスク彫刻を観察することをとおして、その基底に唐草文様等の装飾文様からなる装飾的秩序があることを見出しました。
フォシヨンとバルトルシャイティスの間には、ロマネスク彫刻の装飾的性格について共通の問題意識があったと思われます。

「装飾的構図法」については、バルトルシャイティスの詳細な分析がフォシヨンの研究を承継して新たな成果をもたらすことになります。