アンリ・フォシヨンとともにロマネスク彫刻を巡る ー その1 ロマネスク彫刻の誕生

アンリ・フォシヨンとロマネスク彫刻

「11世紀後半から12世紀前半にかけて発展する(ロマネスク)美術を、一方的に、ギリシャ・ローマ的な過去の遺産の再生ーたとえ東方的、蛮族的な寄与によって着色されているとしてもーとしてのみ解釈することは許されない。また、これに続く時代の彫刻(ゴシック)の予備的な下図としてのみ解釈するのも間違いである。ロマネスク美術はそれ自身に固有の性格をそなえ、自らの法則に従っているからである。」
アンリ・フォシヨン 「ロマネスク彫刻―形体の歴史を求めて」序言

 

アンリ・フォシヨン(1881~1943)は、1925年に、エミール・マールの後任としてパリ大学の中世芸術史の教授に就任しました。

西欧中世の芸術に初めて正当な光をあてたマールの研究を承けて、フォシヨンは、芸術作品を形体の側面からとらえることにより、ロマネスク、ゴシックの芸術が、それぞれ形成、完成、衰退の自律的過程を有する「様式」としての特性を持つものであること、また、ロマネスクにおいて西欧が初めて「東方」でも「ローマ」でもない独自の表現様式を獲得するに至ったことを明らかにしました。

フォシヨンは彫刻を対象として取り上げ、「ロマネスク彫刻―形体の歴史を求めて」(1931年。辻佐保子訳、中央公論社),及び「西欧の芸術1―ロマネスク(上下)」(1938年。神沢栄三他訳、鹿島出版会)により、ロマネスク彫刻に内在する法則の解明に挑みます。

まずは、総論というべき、「ロマネスク彫刻―形体の歴史を求めて」の「第4章・ヘレニズム美術の残影―アーチ列に並ぶ人像群」と「第6章・ロマネスク彫刻における配置と機能」、及び「西欧の芸術1―ロマネスク(上下)」の「第1章・偉大な実験―11世紀のⅢ」を概観します。。

アーチ列の人像における2つの類型

アーチと小円柱の浮彫で枠づけられた平面に、正面もしくは4分の3斜めに向いた姿勢で人像を配する構図――「オム・アルカード」と呼ばれ、2世紀後半にローマ帝政時代の石棺の浮彫に見られるようになり、その後一部のキリスト教徒の石棺に広く用いられるようになったとされています。

ローマの石棺浮彫では、説話や劇的な場面を主題とする重層的でドラマティックな表現がなされるのが一般でした。
これに対し、オム・アルカードは空間の分節を伴う静的な装飾的表現が特徴で、従来の石棺浮彫とは明らかに性格を異にするものです。
この独特な構図は、アーチ列の下に単独の丸彫人像を並べるというヘレニズム時代の建築様式を、浮彫として模倣したものと考えられています。

オム・アルカードは長方形の形体になじむため、5、6世紀以降から中世末に至るまで、象牙彫刻や聖遺物箱、祭壇前面飾り、楣石の浮彫等、長方形の空間を対象とする彫刻に広範に利用されました。

フォシヨンは、その古い作品としてバーゼル大聖堂の祭壇前面飾り(11世紀前半。パリ、クリュニー美術館所蔵)と、ロマネスクの石造彫刻としてトゥールーズのサン・セルナンの周歩廊浮彫、ポワティエのサン・ティレールの浮彫、モワサックの回廊隅柱の浮彫、マルシアックの浮彫等を挙げています。

「バーゼル大聖堂祭壇前面飾り」

「バーゼル大聖堂祭壇前面飾り」

 

このようなオム・アルカードの系譜において、フォシヨンは、サン・ジュニ・デ・フォンテーヌの楣浮彫(制作年代が1021年と特定され、ロマネスクの石造彫刻の最初期のものとされています)に従来のものと全く異なる新たな造形原理を見出しました。

St.Genis des Fontaines

St.Genis des Fontaines

ローマ帝政時代の石棺の浮彫からバーゼル大聖堂の祭壇前面飾りに至るオム・アルカードの類型では、人像は人体比例を崩すことなく自由な姿勢を取って立ち、アーチと円柱は主役である人像に空間を提供するという受動的な役割を果たすにとどまっています。
まさに、ヘレニズムの建築様式であるアーチ列とその下に並べられた丸彫人像と同じ関係にあります。

ところが、サン・ジュニ・デ・フォンテーヌの楣浮彫では、キリストの左右に3人ずつ並んで立つ使徒たちは、アーチと円柱の浮彫の内側に彫られた溝によって造形されており、短い胴体と極端に大きな頭部の異様なプロポーションとなっています。
ここでは、アーチと円柱が人像の形状と輪郭を決定するという積極的な役割を果たしています。

 

フォシヨンはこの両者の造形上の差に決定的な違いを見出しました。

ほぼ同時代に制作された、君主寄進の財を尽くした黄金の祭壇前面飾りと小教会堂の楣石を飾る質素な浮彫。
フォシヨンがロマネスク彫刻の誕生という栄光の座を与えたのは後者に対してでした。

アーチと円柱の枠によって人像の形状が決定されるというオム・アルカードの類型は、サン・ジュニ・デ・フォンテーヌだけではなく、これに近接し同時期に制作されたと考えられるサン・タンドレ・ド・ソレードの楣浮彫にも見られます。

これらの浮彫はフォシヨンにロマネスク彫刻に内在する「枠組の法則」を発見させる端緒となりました。

St.Andre de Sorede

St.Andre de Sorede

フリーズや矩形のパネルにおける2つ類型

教会堂を彫刻で装飾するには、浮彫が施してある長方形のフリーズやパネルを壁面に埋め込んだり吊り下げて配置する方法がまず考えられます。

長方形の枠内を装飾する浮彫は象牙、金属、木材、素焼等を素材として広く行われてきましたが、ロマネスク初期には石材を素材として行われるようになります。

フォシヨンは、これら長方形のフリーズやパネルの浮彫においても、造形上の差を有する2つの類型があることを指摘します。

セル・シュール・シェールの後背部で見ることができる2種類のフリーズと矩形のパネルの浮彫には、それぞれ異なった特徴を見ることができます。

窓の下にあるキリストの説話のフリーズとそれより後の12世紀後半に制作されたと思われる窓の上のフリーズでは、いずれも、枠組は主役である浮彫に空間を提供するという受動的な役割しか果たしておらず、彫刻された諸場面は枠組に拘束されることなく自由に展開されています(フォシヨンはこのような彫刻を「フリーズの芸術」と名付けました)。

これに対し、周歩廊外壁にある矩形のパネルの浮彫は、11世紀に制作され12世紀に再利用されて壁にはめ込まれたものとされていますが、矩形の枠組の中に無理やり体を押し込んだ軽業師の人像に見られるように、枠組は人像の形状を決定するという積極的な役割を果たしており、人像はその限定された枠組の中に収まるように変形されています。

サン・レスティテュのフリーズでは複数の独立したパネルが並べられていますが、ここにおいてもセル・シュール・シェールと同様、枠組の拘束を受けていない彫刻と枠組の拘束を受け、形姿像に変形を加えた彫刻の2つの類型を見ることができます。

壁面を彫刻で装飾するには、以上のように浮彫を施したパネルを壁面に取り付ける方法と、壁面の構造体となる石塊の表面そのものに浮彫を施す方法の2つが考えられます。

前者では、パネルは建築構造から独立しているため、絵画と額縁との関係と同様に造形を先行させてパネルを自由に選択することができます。
これに対し、後者では、壁面構造を構成する一つの単位としての石のブロックが彫刻の範囲を限定することになります。
当然のことながら、彫刻の範囲が限定される後者の方が、形姿像は枠組の拘束を受けて変形されることになります。

事実、ロマネスク初期に、既に見たセル・シュール・シェール周歩廊外壁のパネル浮彫やサン・ジョルジュ・ド・ボッシェルヴィルの人像のように、構造体である石塊の表面にその範囲と正確に一致して彫られた人像等の浮彫が見られます。

ここにおいても、サン・ジュニ・デ・フォンテーヌの楣浮彫と同様、ロマネスク彫刻を特徴づける「枠組の法則」があることをみてとることができます。

そして重要なことは、これらの浮彫において「人像等の形姿像が枠組の拘束を受け入れ、変形されることを容認する」という新しい造形原理が誕生しているということです。

万物の尺度たる人間を尊重し、人体の均衡と比例を最も重視するギリシャ・ローマの彫刻では、人間の姿を枠組に合わせて変形するなど到底考えられないことでした。
一方、ケルト・ゲルマンの世界においては、抽象的装飾が尊重され、具体的形象を抽象的装飾の中に包摂し変形することに何のためらいもありませんでした。

新しい造形原理は、人像のプロポーションや描写の写実性に無頓着であったケルト・ゲルマンの影響を受けた中世初期の芸術(石造彫刻が出現する以前の貴金属、ブロンズ、象牙等の装飾芸術)抜きには誕生しえなかったということができます。

 

建築機能により生じた空間への浮彫(配置と変形)

彫刻を枠組に従属させるという新しい造形原理は、さまざまな形体を有する建築空間に人像等の形姿像を取り込むことを可能にし、建築に従属するロマネスク様式の彫刻を誕生させることになります。

スペイン、カタロニア地方のリポルの教会堂正面はフリーズ群で構成されていますが、アーチの外側にできた三角形状の部分には、空間を充填するように動物や鳥の浮彫が配置されています。

また、ポワティエのノートル・ダム・ラ・グランドの正面の3つの扉口アーチの三角形状の部分では、上下幅の少ない場所に、坐像、半身像もしくは縮小された人像が配置されています。

これらの彫刻の配置は、アーチが作り出した建築空間からの拘束を受けてなされていることを示すものです。
しかし、体の一部が切断され、縮小されたとはいえ、人像のプロポーションに変形が加えられるまでには至っていません。

更に進んで、円形の底部から方形の頂部に移行する不自然な形体をした「柱頭」、楔石が並びアーチを形成する「アーキボルト」、縦長の4枚の矩形からなる「中央柱」、逆に横に長い矩形からなる「楣」、半円形の壁面である「タンパン」ーーこれら建築機能のためだけに存在し、人像等を配置することなど全く考慮していない空間に、敢えて人像等の形姿像を取り込むためには、その空間の枠組に従って形姿像に変形を加えるしかありません。

このようにして建築空間という枠組に従属し変形されることとなった彫刻は、枠組の拘束を受けて萎縮し奇形化してしまうどころか、そのことによってかえって圧倒的な力強さと新たな表現力を獲得するようになります。

 

Neuilly en Donjon

Neuilly en Donjon タンパン