エミール・マールと巡るロマネスク美術 - その5 ロマネスクにおける修正と創造1

第5回は、本書、第3章「フランスの芸術家たちによるオリエント図像の修正」をガイドに、ロマネスクの芸術家たちが行ったオリエント由来の図像の修正、そして新たな図像の創造について、MORAのデータ・ベースから見ていくことにしましょう。

ロマネスクにおける図像の修正と創造

ロマネスクの作家たちは、オリエント由来のさまざまな写本挿絵を手本として用いましたが、ビザンティンのイコンのように図像として不変であることに価値を置くことはありませんでした。

マールは、トゥールーズのオーギュスタン美術館に所蔵されているロマネスク初期の柱頭彫刻である「洗礼者ヨハネの処刑」を例に挙げ、「彫刻家は自分が感じたものを迫真的な身振りによってしばしば雄弁に表現し、古い構図を突き崩してしまう」、そして、「芸術家たちに古い手本を手渡す聖職者たちの方も、これらの手本に常に十分に満足していたわけではなかった。かなり前の時代に考え出されたそれらの場面の中には、彼らには不要に思える要素もあれば、彼らには理解しがたいような部分もあった。彼らは芸術家たちに削除や訂正を提案しなければならなかったのである。かくして、オリエントで創造された偉大な原型のいくつかは、12世紀の西欧の芸術によって修正されることになったのだ」としています。

 

マールはロマネスクにおいて行われた修正と創造の例として次のものをあげています。

降誕

オリエントにおいては、飼葉桶の中に横たわる幼子、産婆たちに洗われる幼子、藁布団に横たわる聖母、坐っているヨセフ、羊飼いたち、マギたち等が登場する寄せ集め的な構成で表現されていたが、ロマネスクにおいてはヴェズレーの右扉口タンパンを例外として模倣されることはなかった。

ロマネスクにおいて降誕の場面は極めて簡潔な構図に変わる。
シャルトルのステンドグラスはその最も古い例で、登場人物は聖母と幼子、ヨセフの3人だけとなる。
聖母は藁布団ではなく寝台に横たわり、幼子は祭壇に見立てられた飼葉桶の中で眠る。

マールは、この新しい構図は、増大していく聖母に対する敬意を表すとともに幼子を祭壇上の生贄として表現するもので、サン・ドニの修道院長シュジェールの構想によるものであるとしています。

洗礼

オリエントにおいては、キリストの洗礼に立会う天使たちは、礼拝の形として両手をヴェールで覆い隠す姿で表現されていた。

しかし、ロマネスクの人々にはヴェールの意味が理解できず、これをキリストの衣服であると思い込んだようで、シャルトルのステンドグラスでは、天使はキリストが脱いだテュニックを持つ姿に改変されている。

最後の晩餐

ギリシャ人によって生み出された初期の最後の晩餐図では、会食者たちが寝台の上に横たわるという異教文明の痕跡をとどめ、半円形の食卓の両端にキリストとユダが使徒たちを挟む形で並ぶという構成となっていた。

しかし、シャルトルのステンドグラスにおいては、食卓は長方形に変わり、会食者たちはキリストを中心としての食卓の向こう側に並んで腰かけている。

ヨハネはキリストの胸のあたりに頭をもたせ掛け、ユダ1人が孤立して食卓の反対側でキリストと向かい合っている。
ユダは、マタイの福音書の「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者がわたしを裏切る」とのキリストの言葉に従い鉢に手を伸ばし、さらに、「わたしがパン切れを浸して与えているのがその人だ」とのヨハネの福音書のキリストの言葉に従いイエスからパン切れを受け取っている。

同様の構図は、トゥールーズのオーギュスタン美術館にあるラ・ドラード修道院回廊の柱頭彫刻を始め、ヴィックの壁画等に見られる。

マールは、ヨハネの福音書のこのエピソードは、瀆神的なユダの聖体拝領としてロマネスクにより採用されたものであるとしています。

または、ユダも食卓の向こう側でキリストの隣に並んで坐るとの構図があり、これはサン・ジルの中央扉口やシャンパーニュの楣石等にみられる。

マールは、この構図を創造したのはプロヴァンスの作家たちであり、それは北フランスにまで伝わっているとしています。

受胎告知

オリエントにおいては、聖母は建築的装飾を背景に紡ぎ棒を手にし、天使は古代の伝令官のような長い棒を持つなどこと細かに表現されていたが、ロマネスクにおいては主題が端的に表現されるようになり、注意をそらす細部は消え去る。

シャルトルのステンドグラスでは、天使はまだ笏杖を持ち、立ち上がった聖母の背後には坐っていた椅子が置かれているが、シャルトルの西正面扉口では、天使の笏杖や聖母の坐っていた椅子は消え去っている。

御訪問

聖母とエリザベスが向かい合って立つヘレニズム型と2人が互いに抱き合うシリア型の2つの型があったが、ロマネスクにおいて、2人が互いに手を取り合う、もしくは手を差し出し合うという中間的な第3の型が生まれた(ラ・シャリテ・シュル・ロアールの楣石等)。

ロマネスクの創造性

ロマネスクの作家たちは、オリエントやビザンティンに由来する写本挿絵に着想の源を求めたとはいえ、これに盲従し単なる模倣を繰り返したり、ビザンティンのイコンにおけるように創造を避け形の忠実な再現を目的とするのではなく、かなり自由な発想で、修正、変形を加え、新たな図像を創造していったことがわかります。

マールは、キリストの生涯等聖なる主題を扱う場合は伝統的な構図を尊重し、聖なる性格を持たない対象については新しい発想で自由に修正、変形を加えていったであろうと推定しています。
ラ・シャリテ・シュル・ロアール扉口の「羊飼いへのお告げ」の羊飼いはフランスの農民の姿であり、サン・ネクテールの柱頭彫刻のキリストを捕える兵士たちは12世紀の鎖帷子と兜を身に着けた当時代の姿で表現されています。

 

10世紀末頃から、教会の典礼の中で復活祭を初めとして典礼劇が演じられるようになりました。
マールは、ロマネスクの作家たちはこれらの典礼や典礼劇の構成や身振りからも新たな創造の着想を得たであろうとしています。