エミール・マールと巡るロマネスク美術 - その3 大彫刻の復活と写本挿絵の役割

「エミール・マールと巡るロマネスク美術」第3回は、エミール・マールの著作「12世紀フランスの宗教芸術―中世の図像の起源に関する研究」の序言及び第1章をガイドに、ロマネスクにおける大彫刻の復活と写本挿絵が果たした役割について見ていきましょう。

Vezelay 中央タンパン

Vezelay 中央タンパン

写本挿絵の模倣から始まった彫刻の復活

「モニュメンタルな大彫刻が誕生したのが11世紀の南西フランスにおいてであったことは、まず疑いない。この地域のクリュニー系の諸修道院がおそらくはその揺籃となったのである」とマールは始めます。

ギリシア・ローマ時代に壮大に花開いた彫刻という芸術表現がローマ時代末期に衰退し、象牙彫刻や祭壇衝立等の小規模なものを除いて、その後何世紀にもわたって忘れられてきたことについて、マールは、キリスト教会が彫像を弾圧したためとの一般的な説明は不十分であり、本質的な理由は、彫像に美を求めたギリシア・ローマの芸術が5世紀頃に純粋に装飾的なオリエントの芸術に取って代わられたことにあるとします。

そして、彫刻の復活が南フランスでなされたことについては、この地方にギリシア・ローマ時代に培われた造形的本能が保持されていたためであるとします。

事実、南フランスでは10世紀頃に聖遺物を入れる容器として木彫りの立体像が作られたことがあります(コンクの聖女フォア像等)。

しかし、新たに試みられるようになった彫刻は木彫りの立体像ではなく、キリスト教の壮大な主題を石の浮彫をもって表現しようとしたもので、まさに偉大な彫刻の復活といえます。

彫刻の価値は、修道士の宗教的観想のため、また文字の読めない人のための聖書として再発見され、主として南フランスのクリュニー系の修道院を通じて広まったとされます。

しかし、キリスト教の壮大な主題を彫刻として表現するについて、当時の制作者には参考となる先例を見つけることは不可能であり、そのためオリエント由来のさまざまな図像を保有する写本の挿絵を借用せざるをえませんでした。

ロマネスクの彫刻家は、壮大な彫刻を復活させるに際し、主題や構図を独自に創造することはできず、古写本の挿絵の模倣から始めざるを得なかったのです。

そして、この事実の解明がマールの本著作の主要なテーマとなります。

モアサックのタンパン彫刻と写本挿絵の関係

彫刻復活の端緒としてマールが取り上げるのは、1065年から1080年に制作されたとされるトゥールーズのラ・ドラード修道院回廊の柱頭彫刻(オーギュスタン美術館所蔵)と、その後、同一の職人らが制作を行なったと考えられるモアサック修道院回廊の柱頭彫刻です。

この二つの回廊の柱頭彫刻は新約聖書の「黙示録」と旧約聖書の「ダニエル書」に由来する主題で構成されていますが、このことは、これらの柱頭彫刻が同じく「黙示録」と「ダニエル書」で構成されたベアトゥスの「黙示録」註解の写本挿絵を基に制作されたことを示すものであるとします。

写本挿絵からの借用は、これに続いて制作されたモアサックのタンパン彫刻において明瞭に見ることができます。

四福音書家の象徴である4つの生き物と王冠をかぶり杯とヴィオールを持って坐す24人の長老に囲まれて玉座につくキリスト、この壮大な「黙示録のキリスト」の浮彫が先例のないもので、ベアトゥスの「黙示録」註解のサン・スヴェール写本もしくはこれと極めて類似した写本の挿絵を借りたものであることは、マールよって解明されました。

Moissac「黙示録のキリスト」

Moissac「黙示録のキリスト」

ベアトゥス黙示録註解のサン・スヴェール写本

ベアトゥス黙示録註解のサン・スヴェール写本(フランス国立図書館)

モアサックでは、半円形のタンパンの形状から24人の長老を円形に配置することができないため、キリストの両側に階段状に配列されていますが、長老たちの形姿はサン・スヴェール写本の挿絵と殆ど同一です。

マールは、「黙示録のキリスト」の図像はローマのモザイクやカロリング朝の写本挿絵にも見られるが、そこでは長老たちは子羊やキリストに冠を捧げる立ち姿で表わされている。モアサックのタンパンはこれらとは明確に異なるもので、サン・スヴェール写本と極めて類似した表現がとられている。また、4つの生き物のうち鷲だけが巻物を爪でつかむとの表現がなされているが、この表現はサン・スヴェール写本とモアサックのタンパンだけに見ることができるとし、モアサックのタンパン彫刻がサン・スヴェール写本もしくはこれと極めて類似した写本の挿絵を借りたものであることは明らかであるとしています。

ベアトゥスの「黙示録」註解の写本挿絵の影響は、サン・ブノア・シュル・ロアール、ポアティエのサン・ティレールの柱頭彫刻等にも見ることができ、南フランスの広範な地域に及んでいます。

そして、ベアトゥスの「黙示録」註解にとどまらず、ロマネスクの彫刻家たちが、オリエントからもたらされ、繰り返し模写されてきたさまざまな写本挿絵を、手本もしくは発想の源として用いていたことをマールは明らかにしていきます。

しかし、オリエント由来の写本及びこれから派生した多数の写本群はクリュニー大修道院の破壊等により殆ど残存しておらず、マール自身も「われわれはどこまでいっても推測の域を抜け出すことはできない」と嘆息せざるをえないところです。

写本挿絵を借用したと解される彫刻の具体例

写本挿絵の影響を示すものとしてマールは多数の具体例を挙げていますが、ここではMORAのデータ・ベースで見ることのできるいくつかを紹介しましょう。

  • モアサック修道院回廊の角柱の使徒の浅浮彫:
    アーケードの枠縁、立姿の形態、テュニックの足の線をなぞったような襞のつけかた等の特徴は、同様の 表現を持つ写本挿絵を手本としたものである。
  • トゥールーズのオーギュスタン美術館所蔵の使徒像と2人の女子像:
    Xの形に交差させた脚、脚下の台座のうろこ状の形態等の特徴は写本挿絵に見られるものである。
  • スイヤック扉口の中央柱:
    この特異な図像は写本挿絵からとられたものである。
  • シロス修道院回廊の角柱の十字架降下の浮彫: 
    岩山を連続した小波のような形で表現する手法は写本挿絵に見られるものである。
  • クレルモン・フェランのノートルダム・デュ・ポールの柱頭彫刻(美徳と悪徳の戦い)とタンパンの彫刻(イザヤへの神の顕現):
    前者における「美徳」の甲冑で武装した戦闘的な姿、「悪徳」の野蛮人のような表現、また、後者における6つの翼を持つセラフィムと左右対称の構図は写本挿絵からとられたものである。
  • アルルのサン・トロフィーム扉口の3人の族長の浮彫: 
    アブラハム、イサク、ヤコブの3人の族長で天国を擬人化することはビザンティン芸術でみられ、フランスではアブラハム1人で天国を象徴することが一般的である。それ故、この浮彫はビザンティンの写本挿絵に由来するものである。
  • キリストの受難のフリーズ浮彫:
    キリストの受難の主題(「オリーヴの園での逮捕」、「ピラトによる裁判」、「鞭打ち」、「十字架を担うキリスト」)は、トゥールーズのラ・ドラード修道院回廊の柱頭彫刻(オーギュスタン美術館所蔵)に初めて現れ、サン・ネクテールの柱頭、サン・ジル正面のフリーズ浮彫等に刻まれたが、南フランスに見られるだけで、ブルゴーニュを含め北フランスには見られない。
    このことから、12世紀初頭の南フランスにキリストの受難を主題とした写本挿絵が存在し、これを手本としたことが推測される。
  • シャルリュー中央扉口のタンパン彫刻、ラヴォデューの壁画、パレル・モニアル美術館所蔵のアンズィ・ル・デュックのタンパン彫刻に見られる荘厳のキリスト: 
    光輪に包まれたキリストが4つの生き物に囲まれて坐し、その下に聖母が左右に使徒を従えて坐しているとの図像の現存する最古のものは、6世紀の上エジプト、バウイトの壁画であるが、オリエントで生まれたこの図像が写本挿絵によって承継されたものである。
  • ヴェズレー中央扉口の聖霊降臨のタンパン彫刻:
    キリストから使徒たちに流れる長い光の筋は石造の彫刻にはなじみにくい。
    この特異な造形は写本挿絵からとられたものである。
  • リポール扉口のモーセ、ダビデ、ソロモン等にまつわる浮彫彫刻:
    これらのさまざまな場面の図像は、カタルーニャの聖書にある素描を忠実になぞったものである。
  • 北イタリアの教会堂ポーチに見られるライオンの背の上に立つ円柱、2本の紐を撚り合せたような二重柱、螺旋状の円柱(アヴァロン)、2つの半円形タンパンで分割されたタンパン(オロロン):
    これらの特異な形態は古代オリエントの建築物を模写した写本挿絵からとられたものである。

ロマネスク彫刻の模倣と独創性

マールは、上記のようなロマネスクの彫刻が示すさまざまな特徴、とりわけ、体に貼り付いたような襞、胸や膝の同心円を描く襞、Xの形に交差させた脚等の特異な表現は、写実によらず写本挿絵を手本にしたことにより生じたものであり、このことがロマネスクの彫刻に手本をなぞっているような不自然さを感じさせる理由となっているとします。

他方、モアサックヴェズレーの扉口からほとばしり出る壮大な美や崇高な感情は、写本挿絵から引き継がれたものではなく、ロマネスクの時代の深い宗教感情から生み出されたものであるとして、ロマネスクの彫刻家の独創性を強調しています。

以上のとおり、ロマネスク彫刻の主題や構図は写本挿絵の模倣から始まったということができますが、単なる模倣にとどまることなく、ロマネスクの彫刻家によって新たな表現を生み出していくことになります。