ロマネスク美術館 Museum of Romanesque Art (MORA)
ロマネスク教会堂に点在する謎の顔
ロマネスク教会堂の外壁や内壁の片隅、柱頭、洗礼盤、持ち送り等に顔だけを単独で彫り込んだ、場違いともいえる不思議な彫刻を見ることがあります。
キリストや聖母、聖人の顔でないことはその俗っぽい表情から明らかで、特定の人物を想像させる肖像彫刻とも考えられません。
名もない農夫の顔を彫り込んだものか、顔だけではどのような人物か、何のためにここに刻み込まれているのか全く理解できず、ただただ気になります。
主題や意味を考察する図像学的方法では顔だけの彫刻は意味不明で、従来ほとんど取り上げられることはありませんでした。
無視されてきたこれらの彫刻に対し、柳宗玄は、宗教的主題を持つ彫刻と同等の光を当てるべきとし、これらの顔の彫刻を「ただの顔」と名付けて批評の対象としました(柳宗玄著作選5「ロマネスク彫刻の形態学」9章)。
柳は、ロマネスク美術を特徴づける「ただの顔」とは、一つの顔だけでなく幾つかの顔の組み合わせでもよく、手や体が加わったものでもそれが矮小であればよい、ただしローマ時代の胸像や石棺の肖像等の対象人物の個性を表すものは除くと定義し、まさに意味の体系から外れた「ただの顔」としました。
そして、このような「ただの顔」は、死者の魂がその首に宿ると信じ、切り取った首を神に捧げたケルトの首信仰に由来するのではないかと推測しました。
ケルトの「神殿の門を飾る単純な首の羅列は、おそらく霊界の入口を示すものであったと考えられる」と記しています。
キリスト教の教会堂入口における首の表現は、ケルトの伝統を残すアイルランドで多く見られ、ブルターニュや南ドイツでも点在しています(当美術館ではスペイン、ナバラ地方、プエンテ・ラ・レイナにあるParroquia de Santiago y San Pedroの扉口で見ることができます)。
扉口に羅列された首の彫刻は、まさに「ただの顔」というべきものとなっており、装飾ではなく呪術的なものを感じさせます。
前ロマネスクの顔
ローヌ=アルプ地方のシャンパーニュ・シュル・ローヌのロマネスク教会堂の外壁では、顔だけの彫刻がなされた切石がいくつかはめ込まれています。
柳は「おそらくはロマネスク以前の古い建物を解体したあとで、彫刻のある切石を適宜に壁のために再使用したに違いない」と推測します。
サントル=ヴァル・ド・ロワール地方のサン・ブノワ・シュル・ロワール修道院の北翼廊西壁にはめ込まれた顔の浮彫。
ブルゴーニュ地方、トゥルニュ修道院の玄関階上間にある四角い石一杯に彫られた顔の浮彫。
マルセイユ、サン・ヴィクトール旧修道院のクリプトの壁面に刻まれた顔の浮彫。
これらの「ただの顔」は、いずれも「額がなく毛髪が直接に眉に接し、耳がこめかみに前向きについている」との同一の形状で表現されており、カロリング期の顔の特色を有しているとしています。
ロマネスクの顔
ブルゴーニュ地方、ディジョンのサン・ベニーニュ大聖堂のクリプトにある顔の柱頭彫刻はロマネスク彫刻の最初期の作品とされています。
額がなく毛髪が直接に眉に接し、耳がこめかみに前向きについている等の特徴から、プレ・ロマネスクの影響が見てとれます。
ロマネスクの時代となると、「ただの顔」は柱頭、洗礼盤、持ち送り等教会堂の様々な場所に登場してきます。
興味深いものを見てみましょう。
柱頭
洗礼盤
持ち送り
台座
謎の顔の彫刻
ロマネスクの教会堂では、このように人物の個性を欠いた「ただの顔」と出会うことができます。
柳は、「これらを単に装飾的主題の一つであるとして軽々しく扱うことはできないが、ここでは、すでに顔はあらゆる変化の相を示し、表情を付け、舌などを出しているのさえある。その意味をむきになって探ろうとする私たちを嘲笑するかのように。・・・・しかしそのいずれもが、彫刻形態としての意味は十二分にもち、顔としての表現力が恐るべき強さで私たちに迫ってくるのだ」と記しています。
意味の体系に疲れ切った現代人に対し、ロマネスクの「ただの顔」は新鮮な驚きと安らぎをもたらしてくれるようです。
Normandie/ Lessayの持ち送り彫刻