柱に刻まれた人像彫刻の類型

ロマネスク美術の最大の特徴は、教会堂や修道院の建築構成部分(扉口では半円形のタンパンとそれを囲むアーキボルト、それらを下から支える楣と側柱、中央柱。身廊、内陣、回廊の列柱。柱を支える柱頭、柱礎)に対して彫刻による装飾が行われたことにあります。
とりわけタンパン、アーキボルト、楣、柱頭はロマネスクの彫刻家の重要な活動場所となりました。

人像等の形姿像は、地となる建物の構成部分の形体に従い、かつ、地となる空間を充填しようとすることにより、変形され独特の運動の表現を生み出しました。
フォションはこのようなロマネスク彫刻の特徴を「枠組みの法則」、「牽引の法則」と名付け様式の基本原理としました。

一方、角柱、円柱等の柱は細長い形体をもち、人像等の形姿像をもってこの基本原理を実現するには極めて扱いにくい建築部材であるため、縦溝、旋回溝や文様が刻み込まれることはあっても、人像等の形姿像が彫り込まれることはまれでした。

柱に刻み込まれた人像彫刻の例は、回廊の角柱や扉口の側柱、中央柱等の長方形の平面を地とするものがほとんどで、浅浮彫から深浮彫に及びます。
人像は柱の形体に従って長身となります。
モアサック中央柱のパウロ、エレミア像、ボーリュー中央柱の浮彫は、ロマネスク彫刻の基本原理を具現する典型といってよいものです。

 

柱の中でも、曲面である円柱は人像等の形姿像を彫り込むには一層不適当で、主として縦溝、旋回溝や文様の浮彫が用いられました。

しかしまれに、柱それ自体が人像の丸彫であったり(「カリアティード」。古代ギリシャの神殿で頭上の梁を支える円柱の代わりに用いられた女性の立像を起源とする)、1ブロックの石材に円柱と人像が一体として彫り込まれる場合も見られます。

更に、極めて限られたものとして、群像で構成したり、旋回溝に人像を配置した柱彫刻も見られます。

人像円柱の出現

このような柱に刻まれた人像彫刻の類型の中に、1140年に献堂されたサン・ドニ修道院の西正面扉口に、円柱を背にして立つ人像群が現れ、その後間もなくシャルトル大聖堂の西正面扉口にも採用されます。

当時、大規模な教会堂が相次いで都市に建てられるようになりました。
これら大規模な教会堂は重厚な壁面で支えられるため、壁面を穿つ扉口入口は奥に向かって段階的に狭くなる重層的なアーチと円柱で構成されるようになります。

Saintes Abbaye aux Dames  扉口

Saintes  Abbaye aux Dames  扉口

サン・ドニ西正面とシャルトル西正面の扉口入口もそのような構成を持ちますが、ここでは円柱に代わり、1ブロックの石材から彫り出された人像を伴う円柱が大規模に用いられました(残念ながらサン・ドニの扉口彫刻は18世紀に破壊されてしまい、破壊前に作成されたベルナール・ド・モンフォーコンの素描と残されたわずかな頭部によって想像するしかありません)。

1ブロックの石材から円柱と人像を彫り出した円柱彫刻は、前記のとおりロマネスクにおいてもまれに見られるものではありますが、サン・ドニとシャルトルではこれが大規模かつ意識的に取り入れられ、「人像円柱」と称されることになります。

人像円柱の登場人物について、エミール・マールは新しい律法を迎える旧約聖書の王や王妃たちであると解しています。(「ロマネスクの図像学」11章)
サン・ドニ修道院を再建した修道院長シュジェールは旧約聖書と新約聖書の整合性を唱えましたが、サン・ドニ修道院の扉口で人像円柱はその思想を現すものとして採用されたとしています。

サン・ドニとシャルトルで誕生した人像円柱は、12世紀後半にかけて、エタンプアヴァロン、ル・マン、サン・ルー・ド・ノー、コルベーユ、スペインのサングエサ等の扉口で取り入れられ、その後ゴシック大聖堂の扉口側壁を飾る立像群としてヨーロッパ中に拡がります。

ロマネスクかゴシックか

ロマネスク彫刻は建築の構成部分を地とする浮彫が主体です。
人像の円柱彫刻は1ブロックの石材から円柱と人像を彫り出した石柱であり、円柱部分を縮小していけば人像は独立した丸彫彫刻に近づき、建築部材を地とするロマネスク彫刻のありかたから遠ざかります。
人像の円柱彫刻はそのような可能性をもつ構造をしています。

サン・ドニとシャルトルの人像円柱をロマネスク彫刻の最終形態とみるかゴシック彫刻の誕生とみるか、論争が繰り返されてきました。
既にみたとおりロマネスク彫刻にも人像の円柱彫刻は存在していることから、人像円柱をもってゴシック彫刻の誕生というには無理があり、この論争はあまり実りのあるものとは思われません。

エミール・マールによると、シュジェールはサン・ドニ修道院を再建するにあたり、既存の思想、建築、美術等を再構成して新たなゴシックの世界を構築しようとしました。
その一つの試みが旧約聖書の王や王妃たちが扉口で迎えるという構想であり、円柱に代わる人像の円柱彫刻の採用であったとしています。

それ故、サン・ドニで生まれた人像円柱は、ロマネスク彫刻の性格を保持したまま、ゴシックの思想を具現化しようとしたものといえます。
ここでは人像が主体であり、円柱は二次的なものにとどまります。
人像はシュジェールの構想を実現するという自らの役割を主張し、建築の付随物という拘束された枠組みから解放されようとします。
円柱部分を縮小していけば人像の独立性、自由度が増大するという人像円柱の構造が、これを可能にしています。

シャルトル西正面の13世紀の人像円柱と北、南袖廊にある13世紀のゴシック様式の人像円柱を比べて見ると、その違いは明らかです。

西正面の人像円柱は円柱と人像が一体であり、人像はロマネスク彫刻の基本原理である「枠組みの法則」を守ろうとしていることが感じられます。
これに対し、北、南翼廊の扉口では、円柱と人像の一体感は失われており、人像はもはや円柱を必要としない独立した彫刻としての姿勢や写実的な表情を表しています。

両者を比較することで、ロマネスク彫刻からゴシック彫刻への移行のありようをを見ることができます。

人像円柱は、ゴシックの思想が既存の人像の円柱彫刻に新たな解釈を加えることにより、建築から独立し自立したゴシックの彫刻を生み出す発端となったものということができます。