クリプトの魅力
ステンドグラスの光に満ち溢れ天空に飛翔しようとするかのように伸びあがるゴシックの教会堂に対し、ロマネスクの教会堂は厚い石の壁と天井で覆われてあり、暗い空間がおのずと心の内への瞑想に導きます。
そのようなロマネスク教会堂の中でも、地下に穿たれたクリプト(地下礼拝堂)はロマネスクの深淵を垣間見せる場所といえるでしょう。
クリプトとは聖人等の遺骸や聖遺物を安置し礼拝する目的で教会堂の地下に設けられた礼拝堂で、その起源は殉教者の遺体を安置した洞窟にあるといわれます。
ゴシックの時代になると聖遺物等を教会堂の内部に保管するようになったため設けられることは少なくなりましたが、ロマネスクの教会堂では内陣とともに最も聖なる空間とされました。
クリプトには小さな墓室だけの素朴なものから、礼拝ができるように礼拝空間や周歩廊が設けられた大規模なものがあります。
まずは主要なクリプトを見てみましょう。
現存する教会堂は旧来の宗教的構築物の上に増改築を繰り返して築造されてきたものが多く、その地下にあるクリプトでは増改築の歴史を物語る痕跡や旧建物の遺構を見ることがあります。
それは遡るとキリスト教布教前のケルト・ゲルマンの宗教世界までたどり着くことになります。
・サン・ドニのクリプト
ゴシック誕生の舞台となったサン・ドニ大聖堂の歴史は聖デニスの墓所に始まります。
聖人伝説では、聖デニスは初代のパリの司教として布教活動をし、250年頃にパリのモンマルトルの丘で斬首により殉教したとされています。
切り落とされた首を持って歩行し、サン・ドニの地で行き倒れ埋葬されたとの言い伝えから、その地にあったガロ・ロマンの墓地跡に5世紀に聖堂が建てられ起源となります。
サン・ドニ大聖堂にはブルボン朝の歴代の王の遺骸を収めたクリプトがありますが、その下層に聖デニスの墓所があるとされる7世紀のメロヴィング朝時代の聖堂の遺跡見ることができます。
・シャルトルのクリプト
シャルトル大聖堂はケルトの信仰の対象であった聖なる泉の地に建てられたのが始まりとされています。
その後何度も火災と再建を繰り返してきましたが、現存するクリプトは1020年の火災後に、増加する巡礼者の宿泊場所も兼ねて造られた巨大なクリプトが主体となっており、その一部に900年頃に構築されたカロリング朝時代のクリプトが残存しています。
そして、そのまた下層にはケルトの泉に由来するとされる井戸の遺構を見ることができ、シャルトルの地の重層的な信仰の歴史を感じさせます。
異空間への誘い
クリプトは、教会堂の起源と増改築の歴史を物語るだけでなく、異教であるケルト・ゲルマンの宗教的土台を布教に利用したという、ロマネスクの時代のキリスト教の深層を垣間見せる場所でもあり、宗教の原点ともいえる呪術的、原初的なイメージを体験することができる秘められた空間でもあります。
そのような特異な空間のいくつかを見てみましょう。
・ディジョン / サン・ベニーニュ(ブルゴーニュ)
10世紀から11世紀初めに建造されたクリプトは円形で、円柱が2重の列柱をなしています。
柱頭の一つには聖堂の重圧に耐えるかのように両手を挙げた「祈る人」の像が刻まれており、初期ロマネスクの土俗的、呪術的な雰囲気を漂わせています。
・アプト / サンテ・アン(プロヴァンス)
教会堂の一部にロマネスクの残存部分を含み、クリプトは12世紀のものとされていますが、その下にメロヴィング朝時代に造られたとされるもうひとつのクリプトがあります。
通路の天井に埋め込まれたガロ・ロマンのものとみられる石板がその重層的な歴史を物語っています。
・マルセーユ / サン・ヴィクトール(プロヴァンス)
3世紀に穿たれたマルセイユの伝道者の埋葬地が起源とされ、造られた当初のカタコンベのありようを偲ばせます。
壁に彫られた顔の浮彫は11世紀のロマネスクものといわれています。
・キュクサ / サン・ミッシェル(ルシヨン)
中央に隆起する太い一本の柱に支えられた球形の空間は「飼葉桶の聖母のクリプト」と呼ばれ、11世紀前半の築造とされています。
その中に身を置くと、「メビウスの輪」や「クラインの壺」のように閉ざされた空間に閉じ込められ、時空を超越したような奇妙な感覚に襲われます。
・カニグー / サン・マルタン(ルシヨン)
カニグーの教会堂は洞窟を思わせる低いトンネル・ヴォールトで覆われ、瞑想的な重厚な宗教空間を造りだしていますが、その下層にあるクリプトも同様に初期ロマネスクの原初的な力強さにあふれています。
・レイレ / サン・サルバドール(ナバラ)
地上にある大聖堂の全重量を呪術的な文様を帯びた柱頭が支えており、円柱は重量に耐えきれず地中に埋没するかのように見えます。
レイレのクリプトでは巨大な重力で空間が圧縮され爆発直前のように感じられます。
・デュラベル / サン・ティラリオン(ミディ=ピレネー)
デュラベルのクリプトは5、6世紀頃に遡るといわれ、柱頭にはメロヴィング、カロリングに由来するとされる組紐文様や抽象的、幾何学的な文様が刻まれ、時代の古さを感じさせます。
身廊からクリプトに続く階段を下りると、予期せぬ空間に出会い心を打たれます。
・クルアス / サント・マリー(ローヌ=アルプ)
11世紀に造られたクリプトには、抽象的文様、素朴な人像、鳥や馬などの動物の柱頭彫刻を持つ円柱が並んでいます。
その造形の素朴さ純朴さは何かを象徴させようという作意を全く感じさせず、宗教の根源にストレートに導く力にあふれています。
・サン・パリーズ / サン・パトリス(ブルゴーニュ)
サン・パリーズの12世紀のクリプトは、異空間であるクリプトの極北を示しているかのようです。
巨大な一本足を日除けにするといわれるスキヤポドス、半人半馬のケンタウルス、双尾のセイレーン、軽業師、籠を抱えた老婆、ハープを弾くロバ、亀、梟、蛇等の奇怪な像が柱頭に暗躍し、キリスト教の祭室とは思われない異様な雰囲気を醸し出しています。
宗教とは無縁な遊びの発露か、呪術的な意味を秘めたものか。
思考はその先には進みませんが、ただ、それらの形態が造りだす濃密な空間はロマネスクの時代の宗教感情を強烈に表現しているように感じられます。