ロマネスク美術館 Museum of Romanesque Art (MORA)
西ローマ帝国の滅亡以降永らく姿を消していた石造の浮彫彫刻が、11世紀初頭頃に復活し、巨大な彫刻に発展していくさまは、ロマネスク彫刻の誕生として、ヨーロッパ美術史の画期をなすものです。
フランスのロマネスク教会堂の扉口に出現した、巨大な石造彫刻の主要なものをご紹介します。
ロマネスク彫刻の誕生
ヨーロッパ美術の主要な想像力の源泉をなすキリスト教においては、偶像崇拝禁止の歴史により彫刻、特に人像の表現には抑制的な底流がありました。
加えて、ローマ帝国末期には、抽象的表現を好む東方、ケルト、ゲルマンの影響から、古代ギリシャ・ローマの写実的な彫像表現は廃れ、平面的・絵画的な浮彫が主流となっていました。
このため、4世紀から11世紀に至るヨーロッパは彫刻については暗黒時代で、丸彫彫刻はもちろん、浮彫彫刻でも象牙彫り等の小規模なものに止まり、規模の大きな彫刻はほとんどみられませんでした。
ロマネスク最初期の石造の浮彫彫刻とされるのは、フランス、ルーション地方、サン・ジェニ・デ・フォンテーヌの教会堂扉口にある楣石(「まぐさ石」。リンテル。矩形の壁面開口部に、左右の側柱の上部に水平に渡された石材をいう)に刻まれた「栄光のキリスト像」で、1020年頃に製作されたものです。
同時期、近郊のサン・タンドレ・デ・ソレードとアルル・シュル・テッシュの教会堂扉口に同種の浮彫彫刻がなされました。
これらは規模の小さい浅浮彫りの彫刻でしたが、11世紀末のトゥールーズ、サン・セルナン聖堂周歩廊の「栄光のキリストと使徒像」では、規模も大きく掘りもより深い彫刻が行われるようになります。
巨大な彫刻の出現
サン・セルナン聖堂では、続いて1120年頃に、南扉口(ミェジュヴィル門)のタンパン(扉口のアーチと楣の間にある半円形の壁面をいう)に、「キリストの昇天」を主題とした大規模な彫刻が出現します。
また、ミディ=ピレネー地方のモワサック、南扉口タンパンには、「黙示録のキリスト」を主題とした巨大な彫刻が現れます。
教会堂の扉口は聖なる空間への入口であり、その上部に位置するタンパンは扉口の中でも特別に重要な場所と考えられたため、キリスト教の重要な主題が掲げられたのです。
1130年頃になると、ボーリュー、カオール、コンク、ヴェズレー、オータンと相前後して、巨大な石造彫刻がタンパンを飾るようになり、壮大なロマネスク彫刻の時代が花開きます。
教会堂正面を覆う彫刻
彫刻は教会堂の扉口、柱頭、その他の壁面にも施されるようになります。
12世紀中頃には、アングレーム、ポワティエのように、ファサード全面を彫刻で覆う教会堂も造られます。
フランス南西部での試み
一方、フランス南西部の地域では、タンパンを設けずに、アーキボルト(扉口のアーチに沿って付けられた装飾用の繰形をいう)で扉口を構成する教会堂が多くみられます。
この場合には、オーネーのようにアーキボルトにさまざまな浮彫彫刻が施されることになります。
ゴシック彫刻への移行
このように、ロマネスクの彫刻は、教会堂の柱や壁面等の構造体の表面に浮彫として施されましたが、やがて立体性を帯び、土台である円柱から突出した「人像円柱」を生み出すに至ります。
教会堂の構造体から独立するようになった彫刻は、丸彫人像も許容するゴシック彫刻の先駆けとなりました。
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