「キリストの昇天」の系譜

ロマネスクのタンパン彫刻に見られる主要な3つの主題として、マールは「黙示録のキリスト」に続いて「キリストの昇天」と「最後の審判」を取り上げます。

トゥールーズ、サン・セルナンでの試み

タンパンを飾る「キリストの昇天」の主題は、トゥールーズのサン・セルナンで初めて試みられました。

しかし、キリストと天使たちが半円の空間を埋め尽くす構図には昇天を思わせる動きが感じられないため、この構図はスペイン、レオンのサン・イシドロで模作されただけで、広範に用いられずに終わりました。

Toulouse / St.Sernin「キリストの昇天」

Toulouse / St.Sernin「キリストの昇天」

カオールの「キリストの昇天」

キリストの昇天の動きは、キリストが光背の中に立って上昇し、使徒たちが消えゆくキリストを見上げ、これに対し2人の天使が身を反らして語りかけるというカオールのタンパンによって初めて表現されました。

Cahors「キリストの昇天」

Cahors「キリストの昇天」

カオールの「キリストの昇天」の構図はモーリアックアングレームで模倣されます。

Mauriac「キリストの昇天」

Mauriac「キリストの昇天」

Angouleme 「キリストの昇天」

Angouleme 「キリストの昇天」

アングレームでは、昇天するキリストの左右に「最後の審判」の「天国と地獄」を思わせる彫刻が配置されており、「キリストの昇天」と「最後の審判」の2つの場面が同時に表現されているように見えます。

これについてマールは、「キリストは昇天した姿のまま審判のため再臨する」との中世の教義に基づくもので、ビザンティンの昇天図において、光背に包まれて上昇するキリストが最後の審判のキリストのように堂々と坐っている姿で表現されるのも同じ理由からであるとしています。

 

シャルトルの「キリストの昇天」

カオールの「キリストの昇天」の構図は北フランスにも伝播します。 

シャルトル西正面左側扉口の「キリストの昇天」のタンパンは、中央扉口の「黙示録のキリスト」のタンパンと同様、サン・ドニから移動した職人たちによって制作されたと考えられますが、これらの職人たちによりカオールの構図が持ち込まれたものと解されます。

Chartres

Chartres 「キリストの昇天」

その後、この構図はエタンプで模倣されます。

Etampes 「キリストの昇天」

Etampes 「キリストの昇天」

ブルゴーニュ地方の「キリストの昇天」

ブルゴーニュ地方でもいくつかの扉口で「キリストの昇天」の主題が見られますが、マールは、これらにはトゥールーズやカオールの影響はみられず、オリエントやビザンティンの写本挿絵から直接構想されたものであると解しています。

モンソー・レトアールのキリストは、シリア系写本のように光背の中に立っており、エジプトのキリスト教徒(コプト)がしばしばキリスト像に付加した柄の長い十字架を手にしています。

Montceaux l`Etoire「昇天」

Montceaux l`Etoire「キリストの昇天」

また、アンズィ・ル・デュックでは、キリストは玉座に着座し、2人の天使が光背を支え持つというビザンティン写本の昇天図を簡略化したような構図をしています。

Anzy le Duc「昇天」

Anzy le Duc「キリストの昇天」

これらの扉口ではキリストを見上げる使徒たちの姿から「キリストの昇天」の主題は明らかとなっていますが、シャルリューにおいては、同様の構図を取りながらも、キリストを見上げるべき使徒たちがキリストと共に正面を向いた不動の姿勢で坐しており、その全体は永遠の相に包まれているように見えます。

Charlieu タンパン

Charlieu タンパン(ゾディアック叢書「ブルゴーニュ」から引用)

ブルゴーニュ地方ではこのような構図が多く見られますが、その理念は「黙示録のキリスト」と近接した「荘厳のキリスト」というべきものになっているということができます。

しかし、ロマネスクでさまざまに試みられた「キリストの昇天」の主題も、ゴシックの主要な主題としては承継されずに終わります。

 

「最後の審判」の系譜

ボーリューの「最後の審判」

「最後の審判」の主題がタンパンに初めて彫り込まれたのはボーリューにおいてです。

そこでは、天使たちがラッパを吹き鳴らし、死者たちが石棺の蓋を持ち上げ、使徒たちに伴われたキリストが受難の刑具に囲まれて天上に現れます。

Beaulieu

Beaulie 「最後の審判」

ボーリューの「最後の審判」の特徴の1つは、キリストの背後に2人の天使に支えられた大きな十字架が刻まれていることです。

マールは、このような十字架はカロリングの「最後の審判」図を引き継ぐもので、トゥールーズのラ・ドラード修道院の柱頭彫刻にも見られ、西欧の「最後の審判」を特徴づけるものであるとしています。

Toulouse/Musee des Augustins 柱頭彫刻

Toulouse/Musee des Augustins 柱頭彫刻

また、もう1つの特徴は、キリストがまだ十字架上にあるかのように、胸をあらわにして両腕を水平に広げて表現されていることです。

マールは、これは「審判の日に、キリストは神に選ばれた人々には山上におけるような姿で、神に見放された人々には十字架の上にいるような姿で現れる」という神学書の章句に基づくもので、南フランスでかなり長く存続していた構図であるとしています。

ポアトゥー地方のサン・ジュアン・ド・マルヌの西正面のキリストも大きな十字架を背後に置いており、両腕を広げてはいないが、十字架から降ろされたばかりのように表現されています。

St.Jouin de Marnes ファサード彫刻

St.Jouin de Marnes ファサード彫刻

ボーリューの「最後の審判」の構図はサン・ドニの中央扉口のタンパンで一層明瞭な形で表現され、その後北フランスに広範に伝播し、ゴシックにおいてタンパンの主要な主題となるに至ります。

St.Denis

St.Denis 「最後の審判」

 

コンクの「最後の審判」

「最後の審判」の主題はコンクではボーリューとは異なった構成で姿を現します。

Conques「最後の審判」

Conques「最後の審判」

 コンクの「最後の審判」は様々な場面を含む複雑な構成をなしており、ボーリューの「最後の審判」とは全く異質なものとなっています。
この壮大なタンパンがオーヴェルニュ地方と強い親近性を有していることは、山形の傾斜をした楣石(オーヴェルニュのノートルダム・デュ・ポールシャンポンモザ等で見られる)や細部の表現の類似性から明らかです。

コンクの「最後の審判」には、「列をなして進む神に選ばれた人々」「魂の計量」「地獄」「天国」等、後にゴシックにおいて開花する「最後の審判」図のほとんど全ての要素が現れています。

最後の審判を劇的なものにする「魂の計量」は、11世紀のトゥールーズのオーギュスタン美術館にある柱頭に刻まれており、南フランス全域に広がった図像ですが(サン・ポン修道院の柱頭、アルルのサン・トロフィームの扉口側壁、サントのサン・トゥトロープの柱頭、サン・ネクテールの柱頭等)、マールは、古代エジプトの「死者の書」等に描かれた「霊魂の審判」図に由来するものであろうとしています。

また、コンクに近いエスパリオンの「最後の審判」のタンパンに関して、コンクのタンパンの原作とする説があるが、これは間違いで、エスパリオンはコンクの特徴を不器用に模作したものに過ぎないと断定しています。

オータンの「最後の審判」

ブルゴーニュ地方で唯一完全な姿をとどめているオータンの「最後の審判」は、ボーリューよりも少し後の作品と考えられていますが、その構想はかなり異なっています。

Autun「最後の審判」

Autun「最後の審判」

ここでは受難の刑具は消え、十字架上の贖い主であったキリストは審判者として表現され、一方、ゴシックの「最後の審判」で重要な役割を演じることになる聖母マリアと聖ヨハネの2人の仲介者が初めて登場します。

そして、ボーリューにはなかった「魂の計量」がドラマティックに表現されるとともに、「死者たちの復活」の場面が楣石全体に感動的に刻まれ、全体に超自然的な強烈な印象をもたらしています。

しかし、オータンの「最後の審判」の表現主義的な構成はブルゴーニュにおいても例外的なものにとどまり、ゴシックの「最後の審判」には承継されませんでした。

 

ゴシックに継承されたロマネスクの主題

以上を見てくると、ロマネスクのタンパンの「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」、「最後の審判」の3つの主要な主題の基底に「最後の審判」の理念が通底していることが分かります。

モアサックの「黙示録のキリスト」が左ポーチに「悪しき金持ちの懲罰」の場面を伴い、アルルのサン・トロフィームの「黙示録のキリスト」が「天国と地獄」の表現を伴っている等、「黙示録のキリスト」が「最後の審判」の主題を伴う場合があること。

また、アングレームの西正面で昇天するキリストが人々を裁くために再臨するかのように表現されている等、「キリストの昇天」と「最後の審判」が同一の図像で表現される場合が多くみられること。

Angouleme

Angouleme

これらのことはロマネスクの時代に誕生したいくつかの主題が「最後の審判」の主題に収斂されていくことを予想させるものといえます。

なお、マールは、本書「ロマネスクの図像学」に先行して刊行された「13世紀フランスの宗教芸術―中世の図像とその諸源泉に関する研究」(1898年刊行、邦題「ゴシックの図像学」、田中仁彦他訳、株式会社国書刊行会)の第6章「世の終わりー「黙示録」-「最後の審判」」において、「フランスでは、12世紀以来、「最後の審判」を表現する2つの方式ー「黙示録」によるものと聖マタイによるものと -が共存していた。」と記しています。

このことからすれば、中世の芸術家が作品を制作するに際し、ヨハネの黙示録で幻視された壮大な宇宙的イメージを表現するよりも、キリストが寓意を含む現実的な言葉で語ったとされるマタイ福音書の「最後の審判」のほうが表現しやすいため、次第と後者の主題に依るようになっていったことは十分に想像可能です。

事実、「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」、「最後の審判」というロマネスクの時代に誕生した主要な主題は、ゴシックにおいて「最後の審判」の主題に収斂されていくことになります。