ロマネスク美術をご存知ですか?
ロマネスク美術というと、何が思い浮かびますか?

西洋美術史において、ロマネスクがビザンチンとゴシックの間にある様式であることをご存知の方は多いと思います。

ビザンチンでは東ローマ帝国の首都、今のイスタンブールにあるハギア・ソフィア寺院やモザイクの壁画。

 ゴシックではパリのノートルダム寺院やそれを飾る彫刻群が容易に思い浮かびます。

しかし、ロマネスクとなると、とまどわれる方が多いのではないでしょうか。

実は、世界遺産の中にも、ロマネスクに関係したものがいくつもあるのです。

フランスではヴェズレーの聖マドレーヌ教会

Vezelay ナルテックス扉口

Vezelay ナルテックス扉口

フオントネーのシトー派修道院

Fontenay 回廊

Fontenay 回廊


サン・サヴァン・シュル・ガルタンプ教会の天井壁画

St.Savin sur Gartempe 天井壁画

St.Savin sur Gartempe 天井壁画

アルルのサン・トロフィーム教会

Arles 扉口

Arles 扉口

スペインではボイ渓谷のロマネスク教会群

Vall de Boi / Taull / Sant Climent

Vall de Boi / Taull / Sant Climent

そしてフランス、スペインをまたぐサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路など・・・・・。

 

ロマネスク美術に接する困難さ

Conques 柱頭彫刻

Conques 柱頭彫刻

紀元1000年頃、西ローマ帝国の崩壊と民族大移動により荒廃していたユーラシア大陸 西方の地域が、信仰心につき動かされ、ヨーロッパとして新生を始めた時、それがロマネスクの時代です。

まさにヨーロッパが産声をあげた時代です。

それなのに、何故、ロマネスク美術は私たちに馴染みが薄いのでしょう。

ロマネスクでは、教会堂や修道院聖堂そしてその内部の空間それ自体が神を象徴する ものとして表現されました。

彫刻や絵画は、柱頭の浮彫や壁画として、建築物の一部を構成しつつ装飾するものとして扱われたため、独立した作品として切り離し、持ち運ぶことができません。

そのため、ロマネスク美術を鑑賞するには、どうしても教会堂や修道院聖堂に足を運ばなければなりません。

加えて、ロマネスクの教会堂や修道院聖堂は、ゴシックの大聖堂のように大都市にあるのではなく、片田舎や儲地に点在しているため、訪れることすら困難が伴います。

他の美術作品が美術館に集められ容易に鑑賞できるのと異なり、作品と接することの困難さが、私たちにロマネスク美術を近寄り難いものにしているのです。

ヨーロッパ世界の誕生とロマネスクの時代

ロマネスクの教会堂や修道院聖堂が、ヨーロッパ全土にそれこそ熱病に侵されるように建てられたのは、紀元11,12世紀のことです。

西ローマ帝国の崩壊と民族大移動による疲幣からやっと回復し、世界の終末が予言された紀元1000年も何事もなく無事経過したこの時、キリスト教の民衆の信仰心に対する語りかけは、ヨーロッパ全土に教会堂建設の熱狂的なうねりをもたらしました。

ローマ時代の旧都市も復興には程遠く、人々はまだ孤島のような村々で細々とした生活を続けていました。

その孤島に、村人が自分達の教会堂を競うように建築し始めたのです。

さながら、世界全体が申し合わせて、古代のボロ布を脱ぎ捨てて教会の白い衣を着けたかのごとくであった」(11世紀中頃のフランス・ブルゴーニュの修道士ラウール・グ ラベール)
と美しく語られた時代です。

それから既に1000 年。

ロマネスクの教会堂や修道院聖堂の殆どは破壊され改築され てしまいましたが、なお現在まで当時の姿を保存し続けているものがあります。

それらは、 時代の波に洗われることのない片田舎や山間の僻地に、ひっそりと長い間見捨てられ時を経てきました。

ロマネスクの魅力

ロマネスクの教会堂や修道院聖堂は、大都市の大聖堂に象徴されるゴシックの大仰さと異なり、極めて人間的で温かみがあり、私達に対しても違和感を感じさせません。

ロマネスクと出会った日本人が、たちまちに魅了されてしまう由縁です。

「ロマネスク美術館・MORA」は、私達になじみの薄かったロマネスク美術を紹介する美術館です。

収集、展示の不可能なロマネスク美術を一堂のもとに鑑賞するには、ヴァーチャルな方法 によるしかありません。

「ロマネスク美術館・MORA」は、これを試みるヴァーチャル美術館です。