エミール・マールと巡るロマネスク美術5 ロマネスク図像の複合性ー「ヘレニズム型」と「シリア型」

前回はロマネスクにおける彫刻の復活と写本挿絵が果たした役割について見てきましたが、第5回は、「12世紀フランスの宗教芸術―中世の図像の起源に関する研究」の第2章をガイドに、マールが取り上げたその具体的内容について見ていきましょう。

Prunet et Belpuig 彫像

Prunet et Belpuig 彫像

写本挿絵の借用によるロマネスク図像の複合性

神の国として石造の教会堂を建築するにあたり、人々の信仰心を呼び起こし、かつ聖書に書かれた諸エピソードを心に焼き付けるため、ロマネスクの彫刻家たちには教会堂に施すさまざまな彫刻の制作が求められました。
そして、彼らは、宗教的諸主題の形式と構成の仕方について、当時入手可能な福音書等の写本の挿絵を彫刻で再現することから始めました。
写本の多くは修道院の図書館の蔵書として幾世紀もの間保存されてきたものでした。

これらの写本の殆どは現存しませんが、当時存在した写本は、オリエントからもたらされた初期キリスト教時代にさかのぼるもの、ビザンチン時代、カロリング時代等さまざまな時代や地域に起源をもつものが混在し、加えて模写の繰り返しにより変形されてしまったものもあり、極めて多種多様であったはずです。

このため、ロマネスクにみられる図像は、これら多種多様な写本を基礎に持つことから、混乱や矛盾に満ちたものとなったとマールはいいます。

その典型例として、マールはトゥールーズのサン・セルナンで見られるキリストの容貌の混乱を取り上げます。

内陣で玉座に着くキリストは髭のない若者の姿で彫られているが、南扉口タンパンの「昇天」のキリストには縮れた髭が刻まれており、制作年代のわずかな違いにもかかわらず、同じキリストの容貌が全く異なる形で表現されていると指摘します。

また、「受胎告知」についても、アルルのサン・トロフィームの回廊柱頭彫刻では聖母は座った姿で天使の言葉を聞いていますが、ラ・シャリテ・シュル・ロアールのタンパンでは聖母は天使の前に立ち上がっています。

こうした表現の違いは、同一主題について異なる表現をする複数の写本挿絵が存在していたことを物語るものです。

マールは4世紀から6世紀にかけて「ヘレニズム型」と「シリア型」の二つのキリスト教芸術が存在したといいます。
二つの芸術は独自の性格、定型、伝統をもって発展し、その後接近し融合していったが、12世紀に至っても固有の表情を保ち続けており、ロマネスクの彫刻家は、手本とした写本の系統に従って、時には前者を時には後者を採用しました。
そのことがロマネスクの図像に複合的な性格をもたらすことになりました。

「ヘレニズム型」のキリスト教芸術

「ヘレニズム型」のキリスト教芸術は、オリエントのギリシア的大都市であるアレキサンドリア、アンティオキア、エフェソス等のキリスト教徒により死者の魂のための葬礼芸術として生まれたもので、古代ギリシアとキリスト教の精神が融合したものであるとしています。
迫害の時代にはカタコンベの壁画として存続し、キリスト教公認後はローマやアルルのキリスト教徒の石棺に彫られた聖書を主題とする説話的な作品に見ることができます。

「ヘレニズム型」のキリスト教芸術は、キリストを髭のない青春期の若者として表現したことにみられるとおり、光と美に満ちた古代ギリシアの精神を承継するものといえます。
ギリシアのキリスト教徒が福音書の中に見たものはその明るい側面であり、写本の挿絵に水の精や異教であるギリシアの神々を取り入れるにも寛容でした。

Toulouse / St.Sernin  内陣のキリスト像

Toulouse / St.Sernin  内陣のキリスト像

「シリア型」のキリスト教芸術

一方、エルサレム周辺では、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝(在位306~337)以降、福音書の重要な舞台なった聖地に壮大な記念建造物が建設され、巡礼者が押し寄せるようになりました。
これらの建物の内部は福音書の場面がモザイクで描かれました。

これらのモザイクは現存しませんが、その内容については、600年頃に巡礼者が持ち帰り、ミラノ近郊のモンツァ大聖堂等に保存されている銀製の香油瓶(「モンツァの香油瓶」)で窺い知ることができます。

モンツァの香油瓶には、エルサレム周辺の聖地にモザイクで描かれていた「受胎告知」、「御訪問」、「降誕」、「マギの礼拝」、「キリストの洗礼」、「墓における聖女たち」、「昇天」、「聖霊降臨」等の福音書の諸場面が浅浮彫で模写されており、「シリア型」というべき初期のキリスト教芸術の原型を今に伝える貴重な資料となっています。

マールは、「シリア型」は福音書の舞台であるエルサレム及びシリア諸地方で生まれたものであり、キリストを黒い髭をたくわえ長い髪をした典型的な壮年のシリア人として表現しているように現実性、地方性を感じさせるだけでなく、「ヘレニズム型」が持ちえなかった壮大さ、神秘さを帯びているとします。

Prunet et Belpuig「キリスト像」

Prunet et Belpuig 十字架上のキリスト像

ロマネスクの芸術と写本挿絵(「ヘレニズム型」と「シリア型」)との影響関係

「シリア型」と「ヘレニズム型」はそれぞれ独自の性格、定型をもって存在していましたが、6世紀頃には双方が混在し合うようになります。

「シリア型」は、「ヘレニズム型」には見られない壮大さと神秘性を持ち、加えて、公会議によって定められたキリストの生涯を現実味をもって表わすものであったことから、次第に「ヘレニズム型」を凌駕するに至ります。
しかし、「ヘレニズム型」の伝統も長く存続し、12世紀のロマネスクの図像の中にもその姿を見ることができます。

マールは、ロマネスク芸術に見られる福音書の主要な主題を検討し、「ヘレニズム型」と「シリア型」の写本挿絵との影響関係を明らかにしていきます。
(なお、これら写本挿絵の詳細についてはマールの著作を参照してください。)

 

受胎告知

(ヘレニズム型)
聖母は坐って身じろぎもせずにお告げをきいている。立ち上がることもできずに、課せられた重大な使命の重みを一身に受け止めているように見える。
聖母は神殿の帳を作っていた時であったため、紡ぎ棒を手に持ったり、手から落としたりする姿で表現されることがある。
 ーリヨンのサン・マルタン・デネーの柱頭彫刻、アルルのサン・トロフィームの扉口彫刻 

(シリア型)
天使の前で、聖母は立ち上がりながらお告げをきいている。
シリア型の原型は「モンツァの香油瓶」に現れており、人類の救済に参与しようとする能動的な意志を表明しているように見える。
 ートゥールーズ、オーギュスタン美術館の彫刻、シャルトルのステンドグラス 

御訪問

(ヘレニズム型)
マリアとエリザベスが厳かな表情で互いに向き合って立っており、慎み深い表現となっている。
 ーモアサックの扉口彫刻、ヴェズレー右扉口のタンパン彫刻、シャルトルのステンドグラス

(シリア型)
「ご訪問」のシリア型の原型も「モンツァの香油瓶」で窺い知ることができ、マリアとエリザベスが互いに抱き合う情熱的、演劇的な表現となっている。
 ーアルル回廊の柱頭彫刻、 サン・ガブリエルの扉口彫刻

降誕

(ヘレニズム型)
聖母は苦痛なく出産を終えて穏やかに坐っている(この構図はオリエントでも余り広がらず、中世フランスでは見られない)。 

(シリア型)
牡牛と驢馬の間の飼葉桶に幼子が横たわり、聖母が疲れ果てた様子で藁布団に横たわり、ヨセフが顔に手を当て思いにふけりながら坐っているとの場面で構成され、これに幼子を洗う産婆や羊飼いが配されることがある。
その原型はやはり「モンツァの香油瓶」で窺い知ることができる。
 ーヴェズレー右扉口のタンパン彫刻、アルル回廊の柱頭彫刻、ブリネーの壁画

マギの礼拝

(ヘレニズム型)
ひざの上に幼子を抱いた聖母が横向きに坐り、一列となって進む3人のマギと対面するという自然な形で表現される。
 ーモアサックの扉口彫刻、ヌイイ・アン・ドンジョンのタンパン彫刻、アンズィ・ル・デュック のタンパン彫刻、ラ・シャリテ・シュル・ロアールの楣石彫刻

(シリア型)
「モンツァの香油瓶」で見られるもので、幼子を抱えた聖母は正面を向いて坐り、マギたちに視線を向けない荘厳な聖母像として表現されている。
この構図がやがて独立した「聖母子像」に至り、ゴシックの定型となることは、「その2 扉口彫刻のその他の主題」で既にみてきたところです。
 サン・ジル左扉口のタンパン彫刻

St.Gilles du Gard タンパン

St.Gilles du Gard 「マギの礼拝」

キリストの洗礼

(ヘレニズム型)
カタコンベや石棺に見られる洗礼図を基にしており、ヨハネから洗礼を受けるキリストは髭のない、裸の、両腕を広げた子供のような容貌をしている。(この構図は中世フランスでは見られない)。

(シリア型)
釣鐘状に盛り上がるように表現された川の中に裸体を両手で覆ったキリストが立ち、左からヨハネが洗礼を施し、右に両手をヴェールで覆った1人の天使が立ち会っている。その原型は「モンツァの香油瓶」で窺い知ることができる。
 ークレルモン・フェランのノートルダム・デュ・ポールの楣石彫刻、シャルトルのステンドグラス、ブリネーの壁画

エルサレム入場

(ヘレニズム型)
キリストは驢馬にまたがって進み、その足元にマントを敷く若者、木に登って枝を切っている若者がいるのが基本構成である。
キリストの後を歩く使徒が加わることがある。
この構成は12世紀の彫刻や壁画に広く取り入れられた。
 ーサン・ジルの楣石彫刻、アルルの回廊の柱頭彫刻、シャルトル西正面の柱頭彫刻、ヴィックの壁画

(シリア型)
キリストはオリエントの習慣に従い驢馬の上に坐った姿で表わされる。
 ーサン・ブノア・シュル・ロアールの柱頭彫刻 

弟子の足を洗う

(ヘレニズム型)  
たらいを前にして、高座に腰掛けたペトロが困惑した様子で足を差し出し、キリストは、髭のない若者の姿で表され、身をかがめることなく、前掛けを両手で持って立っている(この構図は中世フランスでは見られない)。

 (シリア型)  
ペトロが坐ってたらいの水に足を浸け、キリストは身をかがめてペトロの足を洗っている。
さらに、ペトロは頭に手をやり、ヨハネ福音書にある「手も頭も」と言っているような表情をみせる。
 ーセル・シュル・シェールのフリーズ彫刻、シャルトルのステンドグラス、サン・ジルの楣石彫刻   

磔刑

(ヘレニズム型)  
磔刑の図像は永らくみられず、大英博物館に収められている5世紀末の象牙彫刻が最古の作品と思われる。
十字架上のキリストは長髪で髭がなく、細い下帯をつけただけの裸体で表わされている(この構図は中世フランスでは見られない)。

(シリア型)  
シリア型の原型は「モンツァの香油瓶」で窺い知ることができ、キリストはシリアの伝統に従い髭を生やし、裸体ではなく足までの長いテュニックを着た姿で表わされている。
マールは、ギリシャ人にとって親しいものであった裸体は、シリア人にとっては不快感を与えるものだったからであろうとする。
キリストの両脇に十字架にかけられた二人の盗賊や、聖母と槍持ち、ヨハネと海綿持ちが配され、ゴルゴタの丘の処刑の場面が写実的に表現される。    

 ー11世紀から12世紀末にかけて、テュニックを着たキリストの表現は存続したが(ピレネーの木彫りのキリスト像)、「ヘレニズム型」の裸体の表現を取り入れた混合型が支配的となり(シャンパーニュサン・ポン)、やがて「髭を生やした裸体の死せるキリスト」が中世の磔刑図の定型となる(シャルトルのステンドグラス)。
      

復活

(ヘレニズム型)  
古代風の墳墓に数人の墓の番兵が眠っており、翼のない若者の天使が3人の聖女たちにキリストの復活を告げている。
 ーモザの柱頭彫刻

(シリア型)  
キリストの墓を覆う建造物を中心にして、2人の聖女(前に立つ聖女は吊り香炉を 持っている)に、天使がキリストの復活を告げている(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。

これら2つの型はいずれも古代風の墳墓もしくは天蓋を思わせる建造物を中心としているが、12世紀においては墓地や教会で見られる石棺が用いられることが定型となる。
この表現の変遷に「復活劇」による影響があることは、後に「その6 ロマネスクにおける修正と創造2」で触れることになります。

昇天

(ヘレニズム型)  
山を登り頂に達しようとするキリストを雲の中から出た神の手が引き上げようとしており、山の側面では弟子たちが感嘆の身ぶりを示したり、地面にひれ伏したりしている。
その後、山を登る姿、神の手はなくなり、横向きで神の手を求めて両腕を差し出すキリストを2人の天使が支えるという構図で表現されるようになる。
 ートゥールーズのサン・セルナンのタンパン彫刻、レオンのサン・イシドロのタンパン彫刻 

Toulouse / St.Sernin「昇天」

Toulouse / St.Sernin「昇天」

(シリア型)  
天空には、4人の天使が支える光背の中央で玉座に坐ったキリストが左手に書物を持ち右手を挙げた姿で現われる。
地上では、両手を広げた姿の聖母を中心に使徒たちが左右対称に並んでいる(原型はモンツァの香油瓶に見られる)。
 ーアンズィ・ル・デュックのタンパン彫刻
ビザンティンでは坐った姿の昇天のキリストが一般的であるが、西欧の写本では見られない。
それ故、アンズィ・ル・デュックのタンパンは、ビザンティンの写本挿絵の模作と思われる(光背を支える天使は2人となっている)。

Anzy le Duc「昇天」

Anzy le Duc「昇天」

11、12世紀のフランスの写本では、2人の天使が支える光背の中に昇天するキリストが立ち姿で表現され、地上では、聖母の左右に配された2人の天使 が使徒たちに語りかけているという構図があり、これがロマネスクの「昇天図」の主流となる。
 ーモンソー・レトアールのタンパン彫刻(地上の中心に翼のない2人の天使が使徒たちに語りかけており、聖母は使徒たちの中に紛れ込んでいる)、カオールのタンパン彫刻(地上の天使は消え、光背を支える2人の天使が使徒たちに語りかけている)、モーリアックのタンパン彫刻 

オリエントの図像を超えるロマネスクの創造

以上のように、12世紀フランスのロマネスクで見られる図像の源泉が、ヘレニズムとシリアに象徴されるオリエントにあることをマールは明らかにしました(なお、ロマネスクに先行してビザンティン芸術があり、ロマネスクがその芸術も承継していることについてマールは言及していますが、ここでは省略します)。

次いで、マールは、「挿絵を介して彼らが過去から受け取ったものばかりではなく、彼ら自身が創り出したものもまた見てとることができる」、「思想、典礼、演劇、聖人崇拝、巡礼、異端との戦い、修道士の学識や夢などが、12世紀の図像の上にそれぞれの刻印を残している」として、ロマネスクの芸術家たちが行った新たな創造の試みについて探求していきます。